南紀旅 1日目(2013/09/18)。

那智の大滝と熊野本宮への信仰の旅と言うことで、友人の運転で南紀方面に行ってきました。大まかな旅の経路としては、1日目が岐阜→(名阪国道)→奈良県十津川村→和歌山県太地町と内陸を、2日目が和歌山県太地町→(熊野・尾鷲)→岐阜と海沿いを走ってきました。台風 18号が通り過ぎて数日も経過していない中、被害を少し心配しての旅になりました。

 

▼ 名阪国道。

名阪国道はトラックの交通量が多いなあと思いました。平日と言うこともありますが、産業道路の意味合いが強い路線なのだなあと改めて思います。途中、道の駅伊賀に寄って、天理東にて国道を降りました。

 

▼ 大和鉄道桜井市内廃線。

かつて田原本から桜井へと走っていた線路は廃線となり、そのほとんどが道路に転用されてしまい跡形も残っていない。ただし、桜井市内に橋脚の跡が残っているということで寄ってみました。地元住民しか使わないだろう狭い道路を進んだ先に、橋脚の跡が残っていました。こういう構造物が残っていることは、ある意味奇跡なのだなあと思う。

f:id:milkia:20130918120914j:plain

f:id:milkia:20130918120928j:plain

 

 

▼ 道の駅大淀~旧大塔村。

道の駅大淀到着は 12:40。予定では 11:00到着だったので相当遅くなりました。出発時刻が 30分ほど遅れたこと、その後いろいろ手間どったことが原因なのですが、そのしわ寄せがこの先の旅に現れていきます。道の駅大淀では柿の葉寿司を食べました、遷都祭のとき以来だーなあ。美味しかった。

さて、ここから先の区間、旧大塔村エリアまでは僕がクルマを運転しました。このために一日限定の任意保険にも加入したのです。黒滝村を経由しての運転だったのですが、途中には「この先の県道通行止め」の標識が何箇所かで立てかけられていました。電光掲示板には「午前 9時にて通行止め解除」と記述があり食い違っています。訳が分からないので、とりあえず進んでみます。

結局、天川村から大塔村へは迂回路がありながらも通行可能でした。ただ、道が細い。40%くらいの区間では 1車線しかなく、対向車との行き違いに苦労しました。途中、小規模な土砂崩れを掃除した跡をみかけました。そりゃ通行止めになるよなあ、台風 18号の豪雨は紀伊半島も襲ったのだなあと思います。ナビは迂回路を表示していて、まったく役に立たず、延々と続く細い道にうんざりしました。

結局、トータル 50kmほどの道のりを 2時間かけて運転しました。予定では 1時間強で走破できると思っていたので、ここでも誤算が発生したことになります。県道から国道に乗り換えて、十津川村を目指します。

 

▼ 谷瀬の吊り橋。

今回の旅の重要な観光地のひとつ、谷瀬の吊り橋が見えてきました。

f:id:milkia:20130918151437j:plain

 

なるほど、高い、そして長い。生活道路として住民が出費して昭和 20年代に開通してるとか、十津川村の苛酷な環境を思い知ります。平日ながら 10名ほどの観光客がいました。橋は上下振動を予想していましたが、実際は左右振動がかなり大きい。そのため、左右のバランスを崩して倒れそうになる感じです。高さそのものは怖くはありませんでしたが、床板がぺらぺらの板を針金で繋いでいるだけで、歩くと音が鳴り、隙間からは下が透けてみえることもあって、それに怖さを感じました。 対岸の土産物屋さんは残念ながら閉店してました。往復してきました。いやー、この橋はすごいです。一度は訪れる価値があると思いました。

f:id:milkia:20130918152038j:plain

f:id:milkia:20130918152054j:plain

f:id:milkia:20130918152352j:plain

f:id:milkia:20130918153209j:plain

 

▼ 風屋ダム。

引き続き十津川村を南下。風屋ダムに到着します。先日の豪雨で湖面は茶色になっています。ダムは満水ということで放水が行われていましたが、轟音とともに流れる濁流に恐怖を感じました。紀伊半島は豪雨も苛酷な地域なのだなあと思います。

 

f:id:milkia:20130918160607j:plain

f:id:milkia:20130918160640j:plain

 

▼ 道の駅十津川・十津川村役場。

さらに南下して、ようやく十津川村の中央エリアに到達します。十津川村がこんなに大きいとは思わなかった。紀伊半島を舐めていたなあと思います。道もバイパスが完成して快適なところもあれば、まだ 1.5車線のところも残っていると言う感じで、快調というほどには進みません。既に 16:30ということで 2時間以上の遅れになっています、宿のチェックインは 17:00にしていたとのことで、夕食を 19:30に変更してもらいます。これによって、今日行く予定だった熊野本宮と渡瀬温泉は明日に順延(もしくはキャンセル)となることが確定。

道の駅で 2年前の紀伊半島豪雨の資料集を購入しました。谷瀬の手前(北側)で撮影した以下の写真もそのとき発生した土砂崩れらしい。当時はバイパスも完成してなかったようで、集落が寸断されたようです。小規模な崩落はあちこちで見かけました、山の斜面が急な上に地盤が弱いのかなあと思いました。

f:id:milkia:20130918151020j:plain

 

道の駅では足湯に浸かってのんびりしました。

f:id:milkia:20130918163846j:plain

 

十津川村から和歌山県へ。

道は引き続きバイパスの完成有無で全然異なる様相。ナビはこの先、通行止めで迂回路を案内したけれど、ここでも幸いに通行止めが解除されていました。バイパスが完成しているところは次のように高規格道路のためすいすいと進めます。

f:id:milkia:20130918172624j:plain

 

奈良県を抜けて和歌山県に入る頃には川幅も広くなり、平野部も広くなるため 2車線の道(昔ながらの道)が続くようになります。かつて、奈良県五條市から和歌山県新宮市まで五新線なんて線路を建設しようとしていたらしいけど、バイパスを作ることすら大変な道に線路を敷くことは難度が高すぎただろうと思いました。

 

▼ 太地町宿泊。

熊野本宮を通過し、新宮から那智勝浦へと移動し、太地町に入る頃には空はかなり暗くなっていました。そうしてホテルに到着、19:00過ぎでした。「宿」って表記だったので旅館と思いきや、かなりホテル風の施設でした。夕食まではお風呂に入る。

f:id:milkia:20130918184314j:plain

 

夕食は 1階にて。雰囲気はレストランのような感じで、料理は手の込んだ上品なものがたくさん登場しました。熊野牛は初耳だったけど、美味しかったなあ。鍋も味付けが良く美味しかったでした。田舎の「素材とボリュームで勝負」というよりかは「上品な感じでどうぞ」な雰囲気で、少し優雅な気分になりましたー。こういう料理もまた良いなあと思う。量も、ちょうど満腹になるくらいで適量でした。デジカメを忘れて写真を撮れなかった…。

部屋はこんな感じで、平日ということもあって広い部屋をとることができて、ゆったりのんびりとしました。そして、就寝ー。

f:id:milkia:20130918185213j:plain

 

そして、苛酷な 2日目を迎えます…。