和歌山・高野山 3日目(2013/11/04)。

午前 7時本堂で読経が始まります。僕は午前 3時過ぎには起きて、その時間帯まではパソコンを使って日記を書いたり、Wi-Fiスポットへ移動して天気予報を調べたりしていました。こたつも利用しました、今期初めての利用になりました。

読経は 30分とのことで、てっきりずっと聴くだけかと思っていたのだけれど、開始 10分くらいからは僧による寺院の歴史や仏像などが紹介されました。なるほどなあ。最後、左腕に紐を結ばれました…道中安全と諸願成就をこの紐にも祈ります(奥の院の札にも同じことを書きました)。

その後は朝食。そして午前 8時過ぎには宿坊を出発しました。雨は降り止んだばかりで霧状態。レインスーツを着るかどうか迷ったけれど、これから標高が下がる方向へ運転するのだし大丈夫だろうと判断します。そういえば、寺の住職さんもバイク乗りだそうで、てっきり旅行客のものだと思ってた境内のカワサキのバイクは、この寺の関係者のものだったという…ね。

 

▼ 大門。

昨日、奥の院で見た司馬遼太郎の石碑に登場する「大門」が何のことか分からず、少し心に引っかかったまま高野山エリアを離脱することになるのかなあと思っていたら…高野山エリアの西側の入口に設置されているのね。なるほど、なかなか重厚な門だな。このあと分かることだけれど、平野部から高野山エリアまではずっと山の中。そこにそびえる人工構造物である大門は、異世界への入口にふさわしいのだろうなあと思いました。

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高野山駅。

昨日、バス専用道の向こう側にあることが分かって、行けないものだと思っていた高野山駅。案内標識があったので寄ってみる。交差点から思った以上に距離があり、市街地から数kmレベルで大回りする形になります。うーん、和歌山県の道路事情はいまいち岐阜の感覚とは異なるなあ、謎だ。高野山駅はケーブルの駅なので長大ホームではなくこじんまりとしているけれど、バスターミナルは広かった。それでも、恐らく臨時と思われるバスが集結していてスペースにはあまり余裕が無く、バスは取り回しに苦労していました。

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九度山町方面へ。

標高をゆっくり下げていきます。思う以上に距離があり、また道路も 2車線はなく…観光バスがここを通るのは大変だろうなあと思います。そして、対岸を走る南海電鉄も気合だ。山の中腹を縫うように走っています。高野山に向けて執念の開通だったのだろうと思います。途中、川に面した道路の歩道部分が破壊されていました。台風 18号の影響だろうか、自然環境の厳しい世界なのだと思います。あちこちでフェンスが破壊されていました。

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▼ 和歌山電鉄貴志川線貴志駅

「たま」駅長で有名なこの終点の駅。「たま」は本日は出勤日ではなかったようで。2代目だったと思われます。狭いプラスチックの箱の中で飼われているのにストレスのことを少し心配になります。「たま」が駅長として雇われることになったエピソードを僕はここで初めて知り、かなり驚きました。飼い主のネコを助けたい思いが和歌山電鉄を動かし、そしてそれによって和歌山電鉄が助けられたというね。

あ、駐車場はありません。駅前には警備員が配置されていて、パークアンドライドの案内をしていました。昨日は100台くらいのクルマを案内したそうで、今でも「たま」駅長は人気なのだなあと思います。バイクは駅そばの駐輪場に停めることができました。こういうこともバイクの利点だーね。

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▼ 旧野上鉄道。

少し南下して野上鉄道に寄ってみる。会社も解散してしまったとのことで、遺構があるかどうか心配したけれど。美里町方面へ延伸予定していた区間を含め、野上町上の多くの区間は国道のバイパスとして消滅してしまった感じでした。終点の登山口駅はバスターミナルに変わっているものの、そのバイパスの裏手にあって目立ちません。探すのに少し時間がかかりました。

かつては高野山まで鉄道を延伸しようとしてたとのことですが、今やこの登山口から奥に進むバス路線が平日は全滅しているレベル。逆に、この登山口から海南市方面への路線が 30分に 1本もの間隔で残っていることが奇跡的なのかもしれません。道路事情は悪く、野上町内は街道という感じの 1~1.5車線の起伏の大きい曲がりくねった道。鉄道の優位性はそれなりにあったのだと思うけど、そもそも人口が少ないのかなあ。

 

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▼ 廃線。

会社は消滅してしまったけれど、廃線は整備されているようでしっかり草刈りされていました。例えば以下の区間とか。ただ、基本的にはバイパスに置き換えが進むようです。海南市のところで鉄道の廃線が道路と交差するところは、路線の雰囲気が残っていましたが、思わぬ遭遇だったので通過してしまいました。

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 ▼ 大阪へ。

あとは海南市の海南東 ICから北上、大阪へ戻っていきます。途中の SAには寄ったものの、その目的はリアバッグのケーブルの緩みのチェック程度で、特段施設内には寄りませんでした。ワイヤーロックをかけたりヘルメットをホルダーにかけたりタンクバッグを持ったりするのが面倒だなあとか。早めに帰宅したかったこともあります。

最後、大阪市内で突然の雨に見舞われるハプニングがあったものの、無事にレンタルバイク屋に戻ることができました。午後 2時過ぎの到着になりました。

今回の旅はおおよそ 600kmを走行。ガソリンは 20リットル使用という旅でした。

 

▼ 岐阜へ。

レンタルバイク屋から最寄の地下鉄を利用して大阪難波駅へと思ったものの、(スマフォがパケット契約をしていないので)詳細な地図が手に入らず、結局、日本橋駅まで歩きました。遠かった。しかし、初めて日本橋電気街を見ることができました。このことはそれはそれで良かったかなあと思います。

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大阪難波駅に到着したのは 14:55くらい。アーバンライナーは 15:00のものを予約できず、15:30のものに。また停車駅の多いタイプ、電車も旧来型でした。あー…せっかくだったらネクストに乗りたかったね。名古屋到着は 18時頃、そして岐阜到着は 18:40頃。自宅到着は 19:10となって、無事旅が終わりました。

 

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バイクでの宿泊ツーリングは 13年ぶりの出来事でした。積年の思いが解消してだいぶ気持ちがすっきりしました。出費は多大だったし、リスクも大きかったけれど、一度だけ実施する必要があったのだと思います。バイクであちこちの風景を見ることが、僕は好きなのだなあと、再認識した旅でした。